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※ ネタバレ注意 ※
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先日『君の名は。』を見に行きました。
全く興味がなかったのですが、2016年を代表する作品を2016年の風が感じられる今のウチに見ておこうと。
ヒットのひみつは何なのか?を知りたいと思って。
コントラストが強い絵の奥に隠された、「何か」があると思って。



見た人それぞれで、性別の違い、年齢の違いなど、様々な要因から様々な見方があると思うのですが、『君の名は。』がテーマにしていたのは「日常にあるちょっと不思議なこと」だと自分は感じました。

「デジャブ」

誰もが1回は出会ったことがあるこの「デジャブ」って何なんだろ?
ってところが、男女入れ替わりの話に繋がって、さらには日本のある地方の大災害の話に……
というのは『君の名は。』でした。
もうPVとかからは男女の甘酸っぱい恋愛話しか感じられなかったのですが、違いました。
テーマは「デジャブ」=「日常にあるちょっと不思議なこと」でした。

これって初期の『妖怪ウォッチ』がテーマにしてたことなんですよね。



社会現象とまで言われた「それって妖怪のせいじゃない?」「何でも妖怪のせいにする」ってのは、「日常にあるちょっと不思議なこと」を説明する口実だったというのは、3DS『妖怪ウォッチ1』をプレイしたことがあるならピンと来る話だと思います。
交差点で起こるちょっと不思議な事件に関わっていたのは「ジバニャン」、コンビニの前でおなかが空いてしまうのは「ひも爺」……そんなちょっと不思議な、日常のちょっとしたあるあるに名前を付けたのが『妖怪ウォッチ』でした。
またそれは、子どもの時(小学校5年生のケータくん)だけしか感じ取ることができない期間限定の感覚で、いつかは「ちょっと不思議なこと」が「当たり前」になって不感症になってしまうのに似た「別れ」がある切なさもともなっていました。
『妖怪ウォッチ』の最大の魅力です。

コンテンツブレーカーと言われるレベルファイブがまたも『妖怪ウォッチ』で自社のコンテンツを潰したわけですが、もともとこのあたりを自己分析できていなかったんじゃないかと。
2016年、アメリカの流行語大賞があるならば、『post-truth(真実の次)』だと思います。
大統領選の年だった2016年、嘘つきな大統領候補が、真実を曲げ、国民が煽動されました。
『post-truth』という言葉が盛んに使われました。
真実なんて、意味が無いのかもしれません。真実よりも大切なのは「感情」だ、というのが選挙戦の結果だったような気がします。
そんな現象は、少し前から「理由は分からないけど、人類が対抗できない神のような存在の敵が、突然目の前に現れる」物語として出現、消費されてきた流れもあるような、ないような(GANTZ、暗殺教室、だるまさんがころんだ?、進撃の巨人etc.)

『君の名は。』も『post-truth』の話だったのかもしれません。
物語の後半、「日常にあるちょっと不思議なこと」が絶望に変わります。
「不思議なこと」の真実は、ほぼ絶望、というか「死」でした。
『君の名は。』の主人公にとって重要なのはその「死」よりも「会いたい」という感情
それが「デジャブ」から始まった話を、真実を越えた物語に変えていく。
村上春樹好きの新海誠監督らしい、ノルウェイの森的な、「今いる場所は最初にいた場所と同じなのに、主人公は違う心持ちで同じ場所にいる」という成長したのかしてないのかよくわからない話。
電話ボックスで、「あれ? なんだっけ? 俺、どこに電話してたんだっけ」シュゴー(ピエール瀧的なアレ)

そういえば進撃の巨人もそんな話になってきましたね。
真実は明らかになりつつある、しかしそんなことより「気球が見たい!」とか「海が見たい!」っていう欲求感情が話を引っ張っていく流れ。



妖怪ウォッチが『post-truth』を取り返せる日は来るんでしょうか?
鬼太郎とコラボ?
ヌー大陸?
いや、そんな風に「作られた不思議」じゃなくて「日常にあるちょっと不思議なこと」に名前を付けることに感動してたんだぜ?